こんばんは。今日から3月になりました。何かと業務と無関係な私的ブログになりつつある火曜日、相変わらずのYがお送りします。
私の敬愛するブラジルの偉大な作曲家、アントニオ・カルロス・ジョビン(空港の名前にもなっています)作の「三月の水」という多くのミュージシャンにカヴァーされている名曲があります(ポルトガル語原題『Águas de Março』)。
2011年、大震災があった年、ジャズミュージシャンである菊地成孔がパーソナリティーを務めるTBSラジオの『粋な夜電波』でこの曲の日本語訳を朗読しながら素晴らしさを語っていたのが非常に印象に残っていて、それからというもの、毎年3月になると必ずこの曲を聴いています。曲もさることながらとにかく歌詞が素晴らしいです。
その回のラジオの書き起こしを見つけたので一部、引用します。
“ワタシは過去2回、ラジオのパーソナリティをやってきまして、今回が3回目ですが、毎回番組度にこの曲の特集を組んで、その詩を朗読してきました。今年、初めて、この曲のタイトル、そしてメッセージは我々日本人にとって特別な意味を持つようになりました。この曲が何かを仕組んだわけじゃない。我々が何かを仕組んだわけでもありません。あの、ただあるがままに、この曲がすでに存在していただけです。大衆音楽とはいうものはそういうもんだと、ワタシは思います。”
“昨今の大衆音楽の中には、俗流のエコロジーやアニミズムをテーマにしたものが山ほどありまして、年々増加傾向にさえあると言えます。『トイレの神様』大いに結構です。しかし、大衆音楽が、エコロジーとアニミズム、つまり自然界における神々の偏在を歌って、この曲以上のものを、不勉強ながらワタシ知りません。”
“どん底でも自分さえしっかりしていれば、人はこれ(個人的な復興)を掴めるということをこの曲は教えてくれます。”
以下、訳詞です。
枝 石ころ 行き止まり 切り株の腰掛け 少しだけ独りぼっち
ガラスの破片 これは人生 これは太陽 これは夜 これは死
銃 この足 この地面 この身と骨
道路の響き スリングショット 魚 閃光 銀色の輝き
争い 賭け 弓の射程 風の森 廊下の足音
擦り傷 瘤 何でもない…
槍 釘 先端 爪 ぽたぽた
この物語の終幕
トラックが運んでくる一杯の煉瓦 柔らかな朝日の中
銃声 丑三つ時
1マイル やるべき事 前進 衝突
女の子 韻 風邪 おたふく風邪
家の予定 ベッドの中の身体 立ち往生した車
ぬかるみ ぬかるみ
そして川岸が語る 三月の水
人生の約束 心の喜び
浮遊 漂流 飛行 翼
鷹 鶉 春の約束 泉の源
最終行 落胆した貴方の顔
喪失 発見
蛇 枝 あいつ あの男
貴方の手の中の刺 そしてつま先の傷
川岸が語る 三月の水
それは人生の約束 それはあなたの心の喜び
一点 ひと粒 蜂 ひと口
瞬き 禿鷹 突如の闇
ピン 針 一撃 痛み
蝸牛 なぞなぞ 借り鉢 染み
枝 石ころ 最後の荷物 切り株の腰掛け 一本道
そして川岸が語る 三月の水
絶望の終わり 心の喜び
心の喜び 心の喜び
この足 この地面
枝 石ころ これは予感 これは希望…
どうでしょう、シンプルな単語のみで構成されているにもかかわらず森羅万象のような奥深い世界。
もうじきあの大震災から5年が経ちます。「芸術や音楽は無くても生きていけるもの」と言う人もいます。しかし、この曲を聴くと復興における芸術や音楽のあり方についてヒントのようなものが(ジョビンは全く予期していなかったでしょうが)狭間見えてくる気がして仕方ないのです。
(Y)